林檎と苺 ☆二子玉川【NACH(ナッシュ)】他
マルキ・ド・サドの『ジュスティーヌ、あるいは美徳の不幸(Justine ou les Malheurs de la vertu)』といえば、どこまでも純真で美徳を貫こうとする少女ジュスティーヌが、これでもかと理不尽で残酷な運命に翻弄され、踏みにじられていく物語です。今回はこの作品とNACHのアクセサリーを中心にイチゴとリンゴについて語っていきます。
学部時代になんとなく教授に「卒論はマルキ・ド・サドにしたい」と言ったところ「中途半端な気持ちで接する作品ではなく必ずあなたの今ある理解度では論文は破綻する」と警告を受けました。この作家を興味本位な性的な側面だけでアプローチをしようとした浅はかな気持ちが見抜かれた記憶があります。
サドはの作風は、当時の「正しい人間には幸福が訪れる」というキリスト教的な道徳観や啓蒙主義的な綺麗事を攻撃し、激しく嘲笑するのが特徴です。
「自然の法則は本質的に残酷であり、弱肉強食だ。美徳にしがみつく弱者はただ搾取され、己の欲望(悪徳)に忠実な強者だけが繁栄する」ここに彼の作品の近寄りがたいオーラが漂います。
サドは自然とは本質的に残酷であり、他者を喰らい、壊すことでしかその生命を維持できないのだと。ジュスティーヌの清らかな美徳は、その残酷な自然の歯車に噛み潰されてしまいました。
しかし、だからこそ、現代を生きる私たちはただの無力な『ジュスティーヌ』であってはならない生き方を選択しなければならない、と今に通ずるメッセージ性があります。
NACH が磁器(ポーセリン)で創り出す、瑞々しいイチゴやレモンのフルーツモチーフ。
それは、サドが暴いた『残酷なまでの生命の塊(自然)』そのものを、圧倒的に美しく、エゴイスティックに肯定する大人のためのドラマです。
触れれば割れてしまいそうなほど繊細で硬質なポーセリンの艶は、ジュスティーヌの儚い美徳を思わせながらも、決して世界に屈しない、内に秘めた濃厚な欲望の輝きを放っています。
美術を専門に勉強した方ならキリスト教の図像学(イコノグラフィー)に触れた機会があると思います。イチゴは「聖母マリアの純潔」や「義人(正しい人)の善行」、そして「天国の悦び」を象徴します。
キリスト教の伝統において、イチゴは地を這うように実ることから『謙虚な美徳』の象徴であり、聖母の清らかさを表します。まさに、どんな苦難の中でも正しくあろうとしたジュスティーヌの魂そのものです。
一方で、リンゴは人間を楽園から追放した『原罪と誘惑』の象徴。ジュスティーヌを囲む、残酷で強欲な悪徳者たちの世界がそこにあります。
NACH がポーセリンの硬質な艶で創り出すイチゴとリンゴ。そしてスペインのブランドのANDRESGALLARDO(アンドレスガラスド)のリアリティのある果実。
それは単なる果物の形をしたアクセサリーではなく、サドが描いた『美徳(無垢なイチゴ)』と『悪徳(誘惑のリンゴ)』が、危うい均衡を保ちながら一つの身体の上に同居する、極めて背徳的で美しいクリエーションではないでしょうか。
今年の春夏はフルーツのアクセサリーで溢れています。ぜひその一つひとつを手にとりポーセリンの艷やかで冷たい感触、そしてそのメッセージを身につけてみてはいかがでしょうか。
ANDRESGALLARDO(アンドレスガラルド)すべて税込¥44,000
【二子玉川ブログ執筆】 戒田 格(かいだ いたる) 横浜在住。学習院大学大学院フランス文学博士前期修了。専門は19世紀に活躍した詩人のロートレアモンです。一見、ファッションとは対極にあるような文学の世界ですが、そこにある『強い意志』や『美への執着』は、私が店頭でご紹介する一点一点の商品にも通じていると現場で日々感じています。 休日はフランス15世紀の発祥のマルセイユ版のタロット占いと研究をしています。 (二子玉川店6年目)