今回のコレクションでは漆黒で表現された鹿のシルエットや、葉脈だけが浮き上がる繊細な葉のパーツ。緑豊かな生い茂る森ではなく、記憶の奥底に佇む「影の森」から抜け出してきたような、静かで気高い気品を感じさせます。
今回のクロディーヌ・ヴィトリーのコレクションに触れたとき、まず思い出したのがこの作品です。パトリック・モディアノの『暗いブティック通り(Rue des Boutiques Sombre)』は、1978年に発表され、フランスで最も権威ある文学賞であるゴンクール賞(Prix Goncourt)を受賞しました。
それは過去の記憶を失った男が、ポケットに残された一枚の古い写真や小さな煙草入れだけを頼りに、自らの影を追いかける物語です。
物語のなかで主人公が過去を辿る際、かつての知人たちの証言や残された写真によって、妻デニーズがファッションの世界でモデルとして働き、その華やかで美しい立ち姿が人々の記憶に刻まれていたことが明かされていきます。黒い闇からの一筋の光が現れてきます。
戦時下の混迷と「ファッションモデルとしての華やかさ」という対比、そして後にスイス国境の雪山で消えてしまうという残酷な運命が、デニーズという存在をよりい層儚く美しく際立たせています。
妻と彼は第二次世界大戦中のナチス占領下パリで、彼らは危険な政情から逃れるため、大金を払ってスイスへの密出国を企てます。しかし、ナチスの協力者であった悪質な密航業者に騙され、雪深いスイス国境近くの山中で置き去りにされてしまいます。
吹雪の中でデニーズとは離れ離れになり、ペドロ(主人公)は雪の中で倒れて意識を失いました。このときの強い精神的ショックと極限状態が、彼の記憶をすべて奪い去った真相です。 このアクセサリーの漆黒とこの物語のドラマチックさが結びつきませんか? この秋冬のCLAUDINE VITRY(クロディーヌ・ヴィトリー)をぜひお楽しみくださいませ。
自分が何者であったかという影を掴みかけたものの、二度と戻らない時間と失われた人々を想いながら、物語は静かに幕を閉じます。
この結末が与える美学、それは「過去の断片を集めても、完璧には戻らない哀愁」こそがモディアノ文学の神髄です。
【二子玉川ブログ執筆】 戒田 格(かいだ いたる) 横浜在住。学習院大学大学院フランス文学博士前期修了。専門は19世紀に活躍した詩人のロートレアモンです。一見、ファッションとは対極にあるような文学の世界ですが、そこにある『強い意志』や『美への執着』は、私が店頭でご紹介する一点一点の商品にも通じていると現場で日々感じています。 休日はフランス15世紀の発祥のマルセイユ版のタロット占いと研究をしています。 (二子玉川店6年目)