Mühlbauer 創業家による対談
Fashion, not costume
- コスチュームじゃない、ファッションだ -
オーストリア発ハットブランド、Mühlbauer(ミュールバウアー)。三代目デザイナーのクラウス・ミュールバウアーが、彼の両親(母ブリジット・ミュールバウアー、父ハインツ・ミュールバウアー)と共に、ファッションジャーナリスト Claudia Hubmannのインタビューに臨みました。120年に渡る帽子メーカーの歴史、事業の栄枯盛衰、ゴールデンサンデー(クリスマス前の日曜)、変わりゆく風潮など、様々な視点から彼らのこれまでについて語ります。
いずれにせよ、一度落ち着こう。私たちの歴史やブランドの成長を振り返る、良いきっかけかもしれない。」
クラウス・ミュールバウアー
ファッションにおける“年齢”とは?
ハインツ: 新しい商品を生み出し続けるということは、言い換えれば、それだけ年を取ってしまうことでもあるんです。クラウス: ファッションにおける年齢には、大きな矛盾が存在します。ファッションが古くなれば、それはまたおしまいですから。私は今まさに、自分の子供を通してその現実に直面しているところです。古い人間(私もまたその一人)が身に着けるものは、最早この時代にフィットしない。そして、自分自身に問いかけます。アトリエで自分たちがしていることは、時代に追いついているのだろうか?流行に乗れているだろうか?と。自分の年齢と会社の年齢、そして、「鮮度を高め、今の時代に合ったものを生み出さなくてはならない」という強制観念の間に存在する葛藤が、常に私の課題となっています。
そんな中で、どうやってフレッシュなデザインを生み出し続けている?
クラウス: MühlbauerのデザインチームはNora Berger、Madeline Nostitz、そして私の3名で構成され、それぞれ年齢も異なります。毎回、新しいことにトライし続けるのが私たちの目標で、熱心なリサーチや実験を積み重ね、それを成し遂げられています。勿論、コレクション毎にヘッドウェア界を刷新するなんて大それたことはできませんが、一歩ずつ前進することは可能だと信じています。アトリエにてKlaus(中央)とNora(左)、Madeline(右)。
過去にも同じような取り組みをしていた?
ハインツ: 私たちは1980年、オーストリアの伝統的な帽子の販売から着手し、後にブランドオリジナルのデザインもコレクションに取り入れていきました。ブリジット: 当時は伝統的な衣装が大流行して、まるでファッションショーのようでした。私はそれを「野蛮で乱暴なコスチューム」だと言い、全く別のアプローチでデザインしようと試みました。もちろん、当時私たちが手掛けた帽子も、今展開しているコレクションと比較するとかなり装飾が多めですが、リボンや紐をあしらった“Schurlhut(レースハット)”など、現代に通用するデザインもいくつかありました。
Schurlhut(レースハット)
現在のMühlbauerは、特定の年齢層をターゲットにしているのか。
クラウス: 年齢層はあまり絞らないようにしています。初任給をもらう20代半ば頃からご高齢の方まで、幅広い世代で気に入ってもらえると嬉しいです。ハインツ: 私たちが経営に携わっていた頃は、女性向けの帽子のみを生産・販売していました。クラウスが帽子を作るようになってから、男性のお客様にも支持されるようになりました。
ブリジット: ただ、ご高齢のお客様は、若さを求めた斬新なデザインより、強く興味をそそるものを手に取る傾向があります。例えばMühlbauerのウィンドウディスプレイを目にした方々が、私たちの帽子に革新的なパワーを感じて下さっているのです。
世の中で帽子離れが度々指摘されているが、そんな時はどのように感じた?
ブリジット: それはもう酷かった!ハインツ: 帽子業界は、第一次世界大戦後に特に盛り上がりを見せ、帽体(帽子の原型となるもの)の生産工場が、ウィーンに3~4か所ほどありました。
クラウス: 1950年代や1960年代も、今日と比べると「ハットフル(帽子でいっぱい)」な時代でしたね。
ブリジット: それが、1980年代初頭からどんどん衰退していき、私たちはその実態を肌で感じていました…。
クラウスさんも同じような経験はある?
クラウス: 私の場合、帽子は常に「失われつつあるもの」だと感じますね。例えば自分がMühlbauerを継いだ2001年、フェルト帽子は絶滅していたも同然でした。そこで、ブリムにニットの切り替え部を付け、ハットとビーニーをミックスした「プルオーバーハット」を考案し、蘇らせたのです。これに続き、店舗や自宅での保管に負担がないよう、あえて少し潰したシワ加工の帽子なども考案しました。クラウス: ただ、最近は街の中心部やカルメリータマーケット(オーストリアのマーケット)、クリッツェンドルフにあるドナウビーチでも、私たちの帽子を被っている人を見ます。プールで水泳帽を被るのと同じような感覚で、街を散策する時にはMühlbauerの帽子を身に着けてくれているんです。
ハインツ: 昔の「All Saints' Day(諸聖人の日)」は、今で言うクリスマス商戦のような雰囲気でした。私の父はいつもクリスマス前の日曜日“Golden Sunday”になると、何名のお客様を同時に接客できるかチェックしていました。お店の扉を開けると三人のお客様を送り出し、また別の三人をお迎えするのです。
クラウス: お店の外に行列ができているのを私が見たのは1度きり。2020年の4月、コロナウイルスが蔓延し始めた頃、私たちは布マスクを作りましたが、オープン時間前にも関わらずマスク欲しさに大勢の人が並んでいました。
クラウスさんが2001年にMühlbauerを継いだ時のことを教えてください。
クラウス: 当時、私自身は既に帽子職人としての見習い期間を終えていたので、多くのことがスムーズでした。ただ、サプライヤーについて知るのはとても重要なので、両親と一緒にイタリアやザルツブルク、パリや中国などを訪れ、見本市に何度も足を運びました。最初の4、5年間は渡されたバトンを受け取っているような感覚でした。当時は妹のマーリーズも一緒に働いていました。今も生産されているモデルで、Mühlbauerで最も古い型は?
クラウス: 定番の“Schnurlhut(コードやリボンが付いたハット)”です。1980年代に考案されたと、母が教えてくれました。40年経った今も殆ど変わることなく存在し、代表的なクラシックモデルとなりました。今、帽子の身に着け方に変化は見られる?
ブリジット: 世の中のファッション全体が、自由になってきたと思います。クラウス: そして帽子を被らなくても、街を歩けるようになってしまいました。
ブリジット: それは、とても残念なこと。私たちはいつも、帽子とヘッドアクセサリーは、気負わずに被るべきものだと話しています。過度にドレスアップしたり、変装したりしていると感じないように。クラウスが以前こんなことを言っていました。「僕がデザインしているのは “コスチューム”じゃない、“ファッション”だ」と。
クラウス: 「見て!彼女の頭に何かついてる!」そう指差す人もいなくなり、社会はよりオープンになっています。今は、なりたい自分になれる時代なのです。Mühlbauerの帽子は、日常生活にフィットするように作られています。同時に、メゾンのハンドバッグのように「セクシー」であることが伝わると嬉しいです。
2023 AUTUMN/WINTER COLLECTION CLOTH
CLOTH
包み込みたい、覆い隠したい、もはやミイラのように、自分を完全にくるんでしまいたい。
そんな願望を抱くのは、冬の凍てつくような気温のせいだけではないはず。
ただしばらくの間存在を消し、外の世界から身を守る。
Mühlbauerは、今回のコレクションで"Cloth"(生地)にフォーカス。
繋がり、変形し、私たちを守るシールドとなる。しかしそれはファッションなのだ。
代表取り扱い店舗
goldie H.P.FRANCE各店